ニュースによると東京都議会の都議会の本会議で女性議員が女性の妊娠や出産を巡る質問をしていた際に、男性の声で「自分が早く結婚すればいい」、「子供もいないのに」、「産めないのか」などという、とんでもない下品なヤジが飛んだというじゃないか。
これが本当であれば、誰がこんなことを言ったのかを追究してもらいたい。
こんな男性議員が仮に「われわれは女性の活用を支援します! 頑張れ日本の女性たち!」なんて主張をカッコよくしても、誰が信じるかっての。
「こういう男性に限ってさ、女性の活用を応援するといいながら、女性を悪用したPRを平気でするんだよね」、と多くの女性達は冷静にみていると思うぞ。
そもそもこの下品な発言の根底にあるのは、こういった発言が恥ずかしいことだ、と思わない感性にある。女性が子供のいない男性に向かって「タネがないのか」と発言するのと同じだ。実に下品すぎる。
こういったことをなんとも思わない男性が考える女性活用はどんなものなのか問うてみたい。このような馬鹿げた発言が公の場であるとは、本当に日本は先進国なのか、と疑いたくなった。というより、この「活用」という言葉もなんだかピンとこないというのが本音である。逆に「男性を活用する」とはあまり聞かないのはナゼだろう。どうせなら「能力の活用」と言って欲しいもんだ。
活用とは、大辞林では「物の性質・働きが十分に発揮できるように使うこと。うまく使うこと」とあった。人間が人間をうまく使う・・・という意味合いも含むわけで、この上から目線的な「女性の活用」という自体、あまり好ましく思えない。
私は常々、「性別や年齢を理由に個人の可能性を否定することのない世の中の仕組み作りが重要だ」と主張している。これが欠落すると、持続不可能な日本になりかねない。
以前聞いた話では、日本には身体障害者が150万人、自閉症は100万人、うつ病は400~500万人、その他にも引きこもり、認知症、知的障害、精神疾患・・・全てを合わせると2000万人を超えるとのことで、つまり日本人の5人に1人はなんらかのハンディキャップをお持ちである。人間は五体満足でいることのほうが少ないのだ。少子高齢化が進むので、この数字は今後、増加していく可能性が高い。
それだけじゃない。両親も年を取り、痴呆症やアルツハイマーにかかるかもしれない。多くの働き盛りには生活習慣病という病も忍び寄る。もちろん他にも重い病気にかかったり、事故にあったりするかもしれない。そして忘れちゃならないのは、これらのリスクは皆、平等にあるということ。いつまでも家族共々健康なことはあり得ないのだ。
結婚したり、離婚したり、親や子供の問題を抱えていたり、子供がいなかったり、シングルマザー(ファザー)だったり、仕事が忙しくて恋する時間がなかったり、日本は実に様々な人が社会を構築している。
病気や障害を持っていることは決して恥ずかしいことでもない。結婚をしないことも恥ずかしいことではない。われわれは人間だ。持続可能な元気のよい日本にするための鍵は、“男女の差別”ではなく、“皆が抱えるリスク”とうまくつきあいながら、いかに問題を解決するかにある。
毎度しつこく申し上げるが、それは、「偏見に満ちたマジョリティが正しいという社会であってはならない」ということ。いくつになっても健康で恋愛も仕事もうまくいくというスーパー健常者だけが社会を構成していると思ったらまさしく大間違いだ。