昨日起きた杉並の火炎瓶事件。不特定多数を狙った事件にもかかわらず、速報が流れなかったのは不思議だが、その後数時間を経過して、おおまかな概要が報道された。ニュースによると、数年前に奥様を亡くされた60をとっくに過ぎている初老の男が自暴自棄になり、祭りの音がうるさい! という理由から火炎瓶をつくって、人の集まっている場所をめがけて放り投げたという、実に身勝手な犯行だった。最近、不気味に感じるのは、大人の他人巻き込み型の凶悪犯罪が増加傾向にあるのではないか・・・ということだ。
すっかり成人しきった大人ならば、時には煮え湯を飲まされたり、理不尽かつ不当な扱いを受けたり、と、世の中が思い通りにいかないことのひとつふたつはあろうが、その一方で、不快なものをから身を守る術も経験から学ぶ。
「不健全なもので自分が振り回されたら本末転倒だ」
若い頃、理不尽でものすごく嫌なことがあったとき、そう思うようにした。全てが呪わしいと考えたこともあったが、結局は、今までの生き様の延長に自分を取り巻く環境があり、その環境に嫌気をさしたなら、まずは自分を変えるしかない。そうしたらおのずと自分をとりまく環境も変わってくる。
世間も自分の環境もそう簡単に変わらない。にもかかわらず、今回のように、こうした身勝手かつ凶悪な犯行に及ぶ輩は、ふがいない自分を認めるのが嫌なのか、視点を他人に向ける傾向がある。自分を変える努力もせずに、周囲を変えようとするのだ。相模原で起きた残酷な事件もそうだった。
大人になれば「自分の責任」で解決しなければならないことがほとんどなので、私の場合、不快な問題に遭遇しそうな予感がある、あるいは危険を孕んでいると確信した場合、①対象を視界から消す&関わらない、②その場からサヨナラする、という方法を取る。他人になにを言われようと、自分がモンモンとするよりよっぽどいいじゃないか。世間様は自分が思っている以上に、自分を見てくれないことがあるわけで、それを思えば、なんてことない。たとえ失敗しても諦めがつくし、気持ちの切り換えも早い。「世間に振り回されてたまるか」、という感じだ。この環境をつくるまで、長い年月がかかったが、お陰で、今ではほとんどストレスがなくなった。
初老の男が放った火炎瓶で、夏の祭りを楽しくご家族で見学していた人々、幼子までもが負傷した。本当に腹立たしい。なんら落ち度のない人間が、こうした身勝手な輩の放った狂気に巻き込まれるのはいたたまれない。